(ポッドキャストで話すように書いてみました。実際に話してみたエピソードはこちら)
「ポッドキャスト凝ってますね?どんだけ手をかけているんですか?」
って言われました。
・・・はい、確かに手をかけています。
発信、アウトプットが大好きな性分なんですね。アウトプットが十分にできていたら満足、幸せみたいな人なんです。そこに可処分時間を費やすことに躊躇はありません。
だけど、できるだけたくさんの人に届けたいかという願望はなくて。ゼロは寂しいけど、ある意味発信していることで大体満足です。
自分で作って発信したものを読み返したり聞き返したりするのも好きです。ブログ、写真、バンドで練習した曲、最近では自分で引いて録音した曲、そしてポッドキャスト。
アウトプットに重きをおいているというと、アーティストやクリエイターと呼ばれる人みたいですがぜんぜんそういうわけでもなく。それに、プロの俳優や芸能人の方でも自分の出た作品一切見ない人も多いですよね。
インプット、アウトプット、コミュニケーション、この3つを重視する配分って大事だなあって思ってます。そして、人によって心地よい、満足する、幸せな配分は異なるのが面白い。
とにかく、自分の場合はアウトプット偏重型です。アウトプット6、インプット3、コミュニケーション1くらいでしょうか。
自分はインプットが疎かになりがちなので気をつけなければなりません。本読んだり、映画見たり、新しいアプリやサービスを触ったり、人の話をイベントで聞いたり、あとはラーメンの新規開拓をしたり。嫌いではないけど、好みのアウトプットを見つけて没頭し始めると疎かになりがちです。
インプットが乏しいとアウトプットのネタがなくなり、幅が狭くなり、質も下がって、自分のアウトプットに満足できなくなるので、そのためのインプットを心がけています。
今の世の中はインプットだけで幸せっていう人も多いですよね。自分にはそれはできない。テレビやアニメもほとんどど見ないけど、ただ、アウトプットするためにはインプットを意識せねばと言う感じ。
あんまり言いすぎると友達いなくなりそうですが、コミュニケーションがめんどくさくなりがちです。気の合う人とのコミュニケーションは楽しいけど、気の合う人がそんなに多くない。それで疲れるのが嫌で出不精になりがち。また、気の合う人とでも四六時中は無理。適度にひとりの時間がないとストレス。
・・・なんてことを言いながらも、最小限のコミュニケーションはないとそれはそれで寂しくなってしまうめんどくさい人間です。
今の世の中はコミュニケーションのために、アウトプットをしている人も多いですよね。自分の場合は、アウトプットに連続するコミュニケーションだったら交流の範囲を広げても楽しめる、そんな感じでしょうか。
例えば、研究者の方なんかはもっと徹底してコミュニケーションのウェイトが小さいんだと思います。この境地まで行けるとかっこいいんですが。
なんでこんなことをいまさら考えたかというと、最近LISTENというポッドキャストサービスを使い始めたから。LISTENでいろんなユーザーの使い方、ハマり方を見ながら、自分は自分の使い方を模索しています。
LISTENはポッドキャストの配信ができるサービスです。自分は最初はリスナーから入ったのんですが、アウトプットの楽しさに目覚めてしまってからは人の配信を聞くのもそこそこになって頻繁に作って発信するようになりました。
そのアウトプットひとつひとつにもいろんな工夫がしたくなってさらに時間をかけることでインプットの時間や余力がなくなっていきがちで。これは気をつけたいところ。
また、LISTENはポッドキャスター同士の横のつながりを作れるフォローや言及やコメントなどの機能が充実しています。その結果、ユーザー間でのコミュニケーションが生まれて自分も含めてそれを楽しんでいますが、そこに身を委ねすぎてしまうと今度はアウトプットの時間が吸い取られていきそう。
そうなると自分の理想のバランスじゃなくなるなと。
という感じで、LISTENを利用する体験を通して、インプット・アウトプット・コミュニケーションの配分を意識しています。
そうそう、そのLISTENを使い込んでいくことで発見したもうひとつの軸、縦軸がありました。
さっきの3つの要素それぞれに、「同期・非同期」という軸があります。
もともとはポッドキャストは非同期のアウトプットを行うサービスですよね。基本同期型で、同じ時間にみんな聞くラジオに対して、ポッドキャストはそんなことなくて3年前のエピソードが突然聞かれてそこからコミュニケーションが生まれたりします。だから、扱う情報というか話題も、同期型のものに比べてゆっくりしています。賞味期限があまりないというか。
コミュニケーションにおける同期・非同期はいちばんわかりやすいですね。同期のコミュニケーションは、リアルタイムのイベント、飲み会、時間限定のチャット、非同期のコミュニケーションは、メール、discordの普段のチャンネルでの会話、コメント欄、トラックバック、ブログやポッドキャストでのレス。
コミュニケーションって底なし沼なので、居心地が良いと非同期・同期問わず、どんどんハマってしまう強い引力があるんですが、そうならないように線を引いています。
コミュニケーションは計画的に。
LISTENでは非同期のコミュニケーションで参加することを楽んでいます。
インプットにおける同期・非同期。これはどうだろう?とにかく自分は本を読めないことがコンプレックスで生きてきたから、非同期型のインプットは向いていないのかもしれない。いや、だからといって、どんなイベントにでもホイホイ顔を出す人かというと真逆だしなあ。インプットと地続きで付随するコミュニケーションを無意識に避けているからなんですが。
最後に、ここまで話してきた「インプット」「アウトプット」「コミュニケーション」の配分が自分に合って「ちょうどいい」状態、についてもうちょっと掘り下げます。ちょうどいいってどういうこと?
滅多に読まないビジネス書で見かけた「コンサマトリー」という耳慣れない言葉がそれに近そうです。
それ自体が目的であること。 その行為そのものが目的であり、ただそれだけで欲求が充足するようなことを、コンサマトリーといいます。
逆に、その行為は別の目的のための手段であり、それだけでは欲求が満たされないようなことは、インストゥルメンタルといいます。
見返りを求めない、求めすぎないというところが今の自分に合っています。その本に書かれていた「コンサマトリーがなりわいにもなっているのが理想的」という価値観に共感したのでした。
以上、人によって、コンサマトリーなインプット、アウトプット、コミュニケーションの配分は違うよね、というお話でした。
またお会いしましょう。