AirPods Pro 体験から自分を省みる
このエピソードは2020/7/1のnoteに書いたブログです。
最近 AirPods Pro を使い始めるようになって考えたこと。
「静寂世界という提供価値」
ノイズキャンセリングモードによる静寂世界へのトランジションは、AirPods がもたらした 人類未知の体験。人間、聴覚が変わると視覚や触覚や嗅覚を通した日常風景も変わることも発見でした。
現代人にとって、他者の行為に侵されない静謐には価値がある。
先日再オープンした京都市京セラ美術館は、感染防止対策として全員マスク着用はもちろんのこと、完全予約制で館内に入るビジター数をコントロールしていたため、鑑賞はとても静謐で疎らで快適。この体験と引き換えであれば入館料はもっと払ってもいいと思ったのです。
"静粛"というコア価値 AirPods Proのワオ!モーメントを考える。|Dabel(ダベル)
https://note.com/dabel/n/n3a5898243675
「音楽をちゃんと楽しむデヴァイスは別に」
好きな音楽を鑑賞するとき、耳から遠いところで鳴っている感覚の方がライブ感があって好きです。
オーディオブックやPodcast はAirPodsがいいんだけど、音楽と真面目に向かい合いたいときは書斎ではBluetoothスピーカー、リビングではミニアンプを通したステレオスピーカーで聞くようになりました。これは在宅時間が増えたことによる贅沢なプレゼントですね。WFHバンザイ。
「聖徳太子への道は遠い」
快適な "ながらリスニング" ができれば、インプット効率倍増!と期待して散歩中にサイクリング中に料理中に、オーディオブックやPodcast、トークイベントをAirPodsで聞く機会を増やしたのですが、、自分はちょっとでも他のことに気を取られると、耳から入ってくる情報はしっかり咀嚼できないことが判明。結果「Hey Siri, 30秒戻して」を多発することに。。
いままで会議に参加しながらノートPCで内職したり、ラジオを聞きながら勉強したり(ある程度)できていたはずなのに不思議。原因を考えてみると、コンテンツへの関心度が高すぎる場合は一言一句理解できないことにストレスを感じて、テーマへの自分の基本的理解が低すぎる場合はリスニングでは咀嚼が追いつかずまたストレスになるようです。
結果、スクリーンや紙メディアよりもよっぽど集中しなければいけないことに。傍から見てると瞑想中みたいになってることも。情報のリスニングは、摂取シーンとコンテンツのバランス選定が難しいと思ったのでした。。
こちら最近お気に入りのPodcast 。ストレスなくちょうどよい間合いで聞けるのです。
「おおらかな心に憧れる」
自宅の近所に午前中しきりに金切り声を発している子供がいて、この手の雑音に慣れることのできない自分にとっては、その声に晒されながら過ごすことは正直苦行でした。爆音で音楽を聞くことで打ち消すこともできますが爆音の音楽を聞きたいわけではなくすり減ってしまいます。
この音声を静寂モードでほぼ無効にできたことが目下のAirPods Proの最大の恩恵でした。ある特定の苦手な音を学習して打ち消す技術はこれからさらに進化することを考えるとまさに救世主です。いろんな人がいてみんなが生きやすい世の中になればいいなあ。
ところが今朝、、書店に併設されたカフェで新聞を読みながらブツブツ話すおじさんを静寂モードでやりすごしていたところ、今度はそのおじさんが1分に1回くらい机に手を叩く振動が気になりだしてしまった自分。ブツブツ話すのが聞こえているときには気にならなかったのに。。
デヴァイスがどれだけ進化しても、人間としての精進が足らないと思ったのでした。
テクノロジーの利便性が自分の性格とか能力の偏りについて明らかにするみたいな例は、他にもありそうです。