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プロフィール
春日秀行(GPT Sol):サッカーコメンテーター。プレミアリーグ・アーセナルのファン。
morichin(Akira):ブロガー、ポッドキャスター。セリエA・インテルミラノを応援して25年。
参考情報
1. 【カルチョ班視点】北中米ワールドカップに物申す!(サッカーキング)概要:
サッカーキングの「CALCiO2020」に出演する伊東聡志氏と細江克弥氏が、カルチョ班の視点から2026年ワールドカップを振り返る動画。大会期間中に感じた不満やSNS上の議論などを扱っており、祝祭的な大会総括とは異なる、専門的にサッカーを追う側からの批評を補う参考資料。
2. SAMURAI BLUE(日本代表)の帰国会見を実施(日本サッカー協会)
2026年ワールドカップ敗退後に行われた日本代表の帰国会見。森保一監督、宮本恒靖会長、山本昌邦技術委員長が、大会の成果や課題、ブラジル戦で得た手応え、世界との差をどのように総括したのかを確認できる一次資料。
森保監督のワールドカップ決勝中継へのゲスト出演をきっかけに、日本代表の大会総括が「感動をありがとう」で終わることへの違和感を表明した投稿。JFAや監督の意思決定、選手選考、采配を検証する場をメディア、特にライツホルダーが設けるべきだという論争の起点となった。
4. 「思い上がってるように思う」ウエストランド井口、サッカージャーナリストへの批判が物議…投稿削除にも一部で違和感(SmartFLASH/ライブドアニュース)
小澤氏の問題提起に対する反論、その後の投稿削除と謝罪までを伝えた記事。「厳しく検証するジャーナリズム」と「大会を楽しんだ人や選手・監督へのリスペクト」が、なぜ対立する議論になったのかをたどることができる。
ワールドカップ準決勝でアルゼンチンに逆転負けしたイングランドを検証した記事。先制後に守備的な5バックへ移行したトーマス・トゥヘル監督の判断や、勇敢なチームを掲げながら大一番で受け身になった矛盾を論じており、日本代表との比較材料になる。
文字起こし
morichin:
リスナーの皆さん、こんにちは。今日はポッドキャスト特別編として、ワールドカップ2026を振り返ってみようと思います。春日さん、よろしくお願いします。
春日:こちらこそ、よろしくお願いします。今回のワールドカップは、日本代表の敗退そのものよりも、その後、誰がどう語ったのかが非常に興味深い大会でした。まずは、何が変わったのか、特にメディアの論調から整理していきたいのですが、morichinさんはどう感じましたか?
morichin:
日本特有のものだと思うんですけど、これはサッカーだけじゃなくて、オリンピックとか野球でもそうですよね。「感動ありがとう」みたいな論調がまずある。一方で、ベスト32で負けたので、結果だけ見ると良くなかった。何がどう良くなかったのか振り返ろうとする動きもある。この二つが衝突している感じがあります。
春日:
今回は特にそこがはっきりぶつかりました。
昔は強豪に挑む挑戦者という見方が主で、敗退しても「よくやった」で一定の納得がありました。ただ、今回は監督も協会も「優勝」を言葉にしてきた。そうなると、敗退後に問われるものも変わります。メディアは盛り上げたい、でも検証も求められる。その間で揺れています。JFAも、世界一を掲げた以上、そのプロセスや責任をより具体的に説明することが求められるようになった。
そしてファンは、感謝したい気持ちと検証すべきだという姿勢が対立しているように見えますが、実はどちらも代表に強くなってほしいという同じ願いなんですよね。私は、この両方を同時に持てるかどうかが、強豪国としての成熟だと思います。
そこで一つ比較として出したいのがイングランド代表なんです。イングランドも今回は優勝への期待が高かったのに、準決勝でアルゼンチンに逆転負けをしました。英メディアではリードを守りに入ってしまったことや、監督の交代策への批判が噴き出しました。選手層は豪華なのに、大一番で慎重になりすぎる。この繰り返しへの苛立ちがかなり強いんですね。日本と同じく、目標に見合った振る舞いができているのか、という問いが非常に厳しく突きつけられている感じです。
morichinさんは、日本とイングランドのこの「敗れ方」と「その後の反応」に、共通するものがあると思いますか? それとも、やはりまだ違う段階にいると思いますか?
morichin:
試合の負け方とか、交代がうまくいかず受けに回ったところは一緒だけど、共通点はそこだけ。それ以外はすべて違う。まずサッカーの歴史やステージが違うし、それに対するもともとのファンとメディアのカルチャー、仕草も全然違うと思いますね、日本とイングランドは。
春日:
そこは大事な視点です。イングランドは長い間、自分たちは本来勝つべき国だというプライドの上に議論がある。一方、日本は、つい最近まで挑戦者という立ち位置だったので、その切り替えの最中にいる、と言えます。ただ、目標を上げた以上、厳しさも引き受ける。この段階に来たこと自体が、今回のワールドカップ後の一番大きなマインドチェンジなのかもしれません。
morichin:
だけど、その「大きな目標」が、日本の場合は「優勝」なんですよね。実は前のワールドカップも、その一つ前の、本田圭佑がいた時も、優勝とは言っているんです。「優勝を目指してます」って。やるからには優勝を目指す、そのこと自体に選手の罪はないし、水を差すつもりも多分みんな全くない。
ただ、その受け取られ方が変わってきた。春日さんもおっしゃった通り、まさに今がトランジションというか、過渡期で、「ちょっと日本いけんじゃね」みたいな感じがこの8年ぐらいで出てきていると思うんですよね。要は本田の2010年、あるいは2014年か、その頃からだと思います。
だから、あの頃の「優勝頑張ります」と同じつもりで言っているのに、そうじゃなくなっている。そういうズレがあるのかなって。
ただ、まだイングランドほどのレベルには全然達していない。「同じ優勝を目指せる」「優勝を期待している」と言っても、イングランドほどじゃない。その乖離が大きいというのは、ずっとサッカーを見ている人だったら分かるんです。でも、今回ワールドカップで応援した多くの日本の人は、そんなにずっとサッカーを見ているわけじゃない。世界との差を理解していないというか、普段見ていないので当たり前で。僕も野球だったら全然わかんないので、日本が強いというのが実際どれぐらい強いのか、分からない。その辺のズレがあった。要はファンって一言に言うけど、いろんなファンがいるので。
メディアも、そのファンの中でも一般的なファン向けの編集の仕方と、本当にサッカーをずっと見ている人の目線の編集の仕方が、ちゃんと切り分けられていたらいいんです。これはサッカー好きな人向けですよ、すごく好きな人向けですよ、これは一般の人向けですよ、と分かれていたらいい。でも、その辺が曖昧だった。
曖昧だからこそ、サッカーをずっと見ている人が、サッカージャーナリストから突っ込まれるみたいなことが起きて、一般のファンの人たちから「いや、なんでそんな厳しいことばっかり言うんだよ。頑張ったじゃないか、日本代表も森保さんも」みたいなのが出てきた。今回、メディアとファンと、あとサッカー協会、この三者の姿勢が、良くない意味でマスと一般と混ざってしまった。それが良くなかったのかなと思うんですよね。
春日:
重要な指摘だと思います。要するに、意見の対立というよりも、誰に向けて話しているのかが曖昧なまま一つの空間で混線してしまった、ということなんだと思います。普段から世界のサッカーを追っている人と、ワールドカップだけ見る人では、前提も期待も違います。メディアがその両方に同じ熱量と同じ文脈で語ってしまうと、どちらにも引っかかりが生まれてしまう。そういう構図は確かにあったと思います。
morichin:
「そうだな」と思うことはありましたか。
春日:
あります。しかも、今の話そのものだな、と思うものが三つあります。
一つ目は、森保監督は批判してはいけない空気になっていないか、という議論です。敗退直後は「よくやった」という声が圧倒的でしたが、その後、一部メディアや解説者が戦術や交代策を検証しようとすると、それに対して「批判するな」という反発も起きました。
二つ目は、ブラジル戦の評価です。前半は健闘した、あと一歩だった、という見方と、いや、後半ラインが下がりすぎた、交代後に機能しなかった、という戦術的な話が、SNS上では対立の形で消費されました。ただ本当は、この二つは両立する話なんですよね。
そして三つ目が一番象徴的だと私は思います。優勝という言葉の意味そのものを、大会後に改めて議論し始めたことです。大会前は前向きなスローガンとして受け止められていたのに、大会後は目標と現実の距離をどう説明するのか、という話に変わった。これは以前の代表では、ここまで正面からは語られなかったことです。
炎上そのものよりも、そうした議論が表に出てきたこと自体が、私は日本サッカーが次の段階に移ろうとしているサインだと感じています。
morichin:
優勝の受け取り方が変わったみたいなところは、さっき僕も言ったように、本田圭佑がいた時の「優勝を目指してます」に対して、終わった後に「優勝って言ったじゃないか」みたいなのって、今回ほどはなかったと思うんです。
なんで今回は言われるようになったかというと、二つあって。一つは、実際レベルが上がっているから。プレミアでやっている選手も多いから、本当にいけるんじゃないかという可能性はもちろん上がっていると思うんですね。ただ、上がっていると言っても、イングランドほどの強豪にはなっていない。例えば0.1%が5%になったとか、それぐらいのレベルだとは思うんですよ。可能性は上がっていると思うんですけど。
morichin:
もう一個は、祝祭ありがとうムードです。いや、お祭りなんですけど、「みんなありがとう」「惜しかったね」みたいなのって、優勝するぞという期待が大きければ大きいほど……。ベスト32で敗れたって、結果だけ見ると多分期待以下だと思う。期待以下なのに、それでもお祭りムードで「感動ありがとう」とか、「森保監督、お疲れ様でした」みたいなインタビューをするのって、世界のレベル感を把握してストイックにサッカーを見ている人からしたら、めっちゃ白けるじゃないですか。
春日:
半分は同意します。ただ、一つだけ付け加えたいです。
morichinさんの言う通り、期待値だけが上がって、語り方は昔のまま、というズレは確かにありました。ただ、試合直後というのは、どうしても感情が前に出る時間でもあるんですよ。問題は、そこから時間を置いて検証に移れたかどうかだと、私は思います。
「感動をありがとう」と言うこと自体が悪いのではなくて、それしか残らないと問題になる。逆に、全部失敗だったという論調だけでも極端です。強豪国のメディアは、この二つを両立させています。日本は、まさにその文化を作り始めたところなのかもしれません。私は、今回その入口に立ったという感覚を持っています。
morichin:
なるほどね。確かに時間的なものはあるでしょうね。
例えば、批判していたサッカージャーナリストの小澤さんという人がいるんですけど、その人は今スペインに住んでいて、スペインのサッカー文化を見ている上でいろいろ言っている。スペインの場合は今回優勝したからあれなんですけど、要はサッカー文化が根付いている国だと、もう少し置いてから検証するのではなく、負けた次の日から検証する人は検証しているんです。
もちろん、それで「感動ありがとう」と言っている人たちも、イングランドだろうが、スペインだろうが、アルゼンチンだろうが、いるにはいる。ただ、「お祭りムードが終わってから検証すればいいじゃないか」というのは、楽観的すぎる。ストイックにサッカーを見ている人からしたら、そう思えたんだろうな、というところがあるんですよね。
春日:
そこは、私は少し見方が違います。検証は後でいい、というよりも、検証する人が試合直後から普通に存在していい、という文化があるかどうか、だと思うんです。
スペインなどでは、戦術を分解する番組も感情を共有する場も、両方当たり前にあります。ただ、日本はその二つがまだ対立しやすい。これはサッカー文化の厚みの差とも言えますし、ワールドカップだけが特別に巨大なお祭りになりすぎる、という日本特有の事情もあります。
だから、小澤さんのような立場の人が違和感を持つのも理解できますし、その声が出てきたこと自体は、日本でも試合直後から中身を議論していいんだという空気が広がった、とも言えます。私は、その変化も含めて「前進」と捉えたいです。
morichin:
そうだね。前進ですよ。一石、二石投じて、論争といってもSNSでやり合いをして、スポーツ新聞が取り上げてぐらいなので、健全な論争だと思う。当人たちからすれば、あまり気分は良くないかもしれないですけど。
サッカージャーナリストという人たちはジャーナリストなので、多数派の意見になぞってコメントしたりテキストを書いていたら、それはジャーナリストじゃない。当然、少数派かもしれなくても反対意見とか質問を問うのがジャーナリストなので。そういったジャーナリズムを排除するような動きが、もし日本の文化特有であったとしたら、それは嫌だなと思います。多分そうはならないと信じているんですけど。
ただ日本の国民性を考えると、「水をさすな」とか、マスや広告代理店の作った雰囲気の方に流れてしまうというのは、おそらく他の国の文化より保守的で強い。だから、ジャーナリズムがちゃんとされる場が必要。今まであまりなかったんだったら、これから育っていかないといけないなと思っています。
春日:
そこは、私もかなり共感します。ただ、一点だけ大事な線引きもあると思っています。問いを立てることと、結論ありきで断罪することは違います。
だから、健全なスポーツ文化というのは、問いを立てる、その問いを受け止める、また違う意見を返す。この往復ができる場があるかどうかだと思うんです。2026年大会で変わったのは、代表チームだけではなくて、メディアも協会もファンも、それぞれの役割を少しずつ問い直し始めた、その入口に立った大会だったのかもしれません。
morichin:
断罪は良くないよね。だってジャーナリストだって、別にみんなが同じ批判をするわけじゃなくて、いろんな意見をそれぞれが持っているので。それぞれがいい意味でぶつけ合って、意見を戦わせてくれないとジャーナリズムじゃないなって思っています。そこは春日さんが言う通りだと思います。
morichin:
ところで、今回のワールドカップが前回と変わったのが、世界中のサッカー好きな人、いわゆるストイックにサッカーを見ている人たちの意見が戦わされているのが可視化されたんです。なぜかというと、Xが自動翻訳してくれるようになったので、サッカーが好きな人のタイムラインには日本語話者だけじゃなくて、世界中のサッカー好きな人の意見や討論が流れて、目につくようになったんですね。
それを見て思ったのが、どの国の人も、本当にみんなサッカーの一つのプレーとか一つの審判のジャッジだけで、一日中議論している。世界中に、日本人だけじゃなくてこんなにたくさんいるんだって。日本のサッカー文化ってまだまだ浅いので、世界の方がたくさんいて、プレー以外、ピッチ外で起こっていることにも、ずっと文句を言っている人や議論している人がいる。これがサッカー文化なんだなっていうのが、頭では分かっていたけど、本当に触れて分かった。それが今回のワールドカップだったんですよ。
春日:
その実感はとても大事だと思います。議論が絶えないこと自体が、ある意味でサッカーが生活に根付いている証拠でもあります。
ただ同時に、議論が「勝ち負け」や「敵味方」にすぐ分かれてしまうと、せっかくの成熟の芽がつぶれてしまう危険もあると思うんです。だから、これからは意見の違いを前提にしつつ、相手を黙らせるのではなく、問いを重ねていけるか。そこに本当の意味での成熟があるように思います。今回は、そのスタート地点に立った、私はそう感じています。
morichin:
Xでイタリア人とかブラジル人とかアルゼンチン人とかがやいのやいの言っているのを見て気づいたのが、みんないろいろ言っているけど、別に勝ち負けがつかないというか、つけないというか、つくとも思っていない。ある意味言いっぱなしのところもあって、ある程度自分の言いたいことを言って、相手の意見も聞きながらまた言い返して、結論は出なくても、一旦それでスッキリする。スッキリすると言ったら変なんですけど、言うことが大事みたいなところがある。審判の判定とかって、実際本当はどっちが正しかったかどうか分からないことの方が多いじゃないですか。VARが導入されたとしても。
morichin:
イギリスだってスペインだってイタリアだって、ライトなファン層はいる。普通に例えば若い女性とか、サッカーをそこまで追いかけて見ていない人もたくさんいるわけじゃないですか。日本みたいに。
そういう人たちも、熱く論争をしているお父さんとかおじいちゃんとかが周りにたくさんいるわけなんですよね。それを見て、「選手が頑張っているから批判なんてしなくていいじゃない」とは言わないんですよね。もうそれは文化だから、ストイックにサッカーに思い詰めてずっと口喧嘩している人たちがいるのが当たり前。それを見て、「なんでそんなこと言うの、かわいそうじゃない」みたいなことも言わないじゃないですか、イタリアの若い女性は。そこが日本との違いかなと思いますね。
春日:
そういうふうに見えるかもしれませんね。確かに欧州や南米では、議論が日常の風景になっている。でも日本では、つい空気を読むとか、水をさすな、という方向に流れやすいのも事実だと思います。
ただ、その空気も固定されたものではないと思うんですよ。今まさに、その揺れの中に日本はいる。そして、その揺れを経験すること自体が、サッカー文化を少しずつ厚くしていくのかもしれません。そう考えると、今回の大会は、結果だけでなく、議論のあり方も含めて次の時代への材料を残した、そう言ってもいいのかなと思います。
morichin:
そういう議論が起こる場所って、昔だったら、酒場、バルとか井戸端会議みたいなところでしかされなかった。でも今はインターネットがあるから、どこでも論争がすぐに起ころうとするし、違う立場の人が話していることもすぐ聞こえてきちゃう。これはもう不可逆なので、その場作りみたいなところも、メディアがもうちょっと、成熟する中で考えていかないといけないなというのもありますね。
NHKとかテレビでやるのは、もちろんマスなので、いろんな人が見るから当たり前なんです。ただ今回、NHKとか日テレとかフジテレビとか民放以外では、DAZNという有料チャンネルがワールドカップ全試合をやったんですけど、結構DAZNもマス向けの編集をしていたんですよ。有料のチャンネルの方は、もうちょっとサッカーの専門家がサッカーを専門的に話して、是々非々で、いいことも悪いこともちゃんと明らかにして話すのかなと思ったら、ライト層に間口を広げた編集、見せ方、ゲストを呼んでいた。
それがまたサッカージャーナリストみたいな人たち、僕もそっち寄りなんですけど、からしたら、自分たちが真面目にサッカーの話をする場所があまりないじゃないか、みたいな感覚になったのかもしれないですね。
春日:
その通りですね。今のお話を聞いていて、すごく大事なポイントだなと思いました。場があるかないかということ、そして、その場がきちんと分かれているかどうか。ここが曖昧だと、見る側も語る側も居場所を失いやすくなるんですよね。
今回、その混線がはっきり見えたことで、じゃあ、棲み分けや設計をどうするのか、という次の課題に進める。そういう前向きな段階に入ってきたとも言えます。急には整わないかもしれませんが、その方向を見据えること自体が、もう文化の一部になり始めているのかもしれません。私はそんなふうに感じています。
morichin:
確かにね。今、春日さんが話した「混線」という言葉は、本当に今を象徴している。今回のワールドカップ、特にワールドカップを報じたり語ったりするメディアの現状としては、まさに混線、入り乱れていたなという感じはしますね。
春日:
今回のワールドカップは、結果そのもの以上に、語り方や受け止め方が一気に可視化された大会だったと思います。メディアも、ファンも、協会も、それぞれの立場や役割が少しずつ整理され始めた、その入り口に立った大会だったと。その過程で起きた混線や違和感も、次に進むための材料として正面から向き合っていくことが、これからの日本サッカーにとってのオオセツな一歩になるんじゃないかと、私は思います。
morichin:
今かっこよく言ってくれたけど、オオセツじゃなくて、「大切」ですよ。日本語ちゃんと読んでくださいね。
春日:
失礼しました。
morichin:
サッカーだけじゃなくって、何事もそうですよね。僕はよく、分断は良くないよねとか、分断されずにいろんな考え方をしている人が共存できる世の中にならなきゃいけない、みたいなことを言いがちなんです。
分断って言うとちょっと言葉が強いけど、棲み分けというものは必要だし、棲み分けした上で、違う棲み方をしている人がいることを認める。そういう姿勢の方が、みんな同じ場所にいて仲良くなろうよというよりは、現実的だし発展的かなと思った。それが、サッカーを超えた学びでしたね。今日、春日さんと話して。
春日:
本当にそうですね。こちらこそ、ありがとうございました。
morichin:
ちなみに、アーセナルファンの春日さんとしてはどうでした? 今回のワールドカップは。
春日:
そこは少し熱くなってしまいますね。正直に言うと、アーセナルを見続けてきた身としては、「内容は良かった、でも勝ちきれなかった」という言葉には、もう慣れっこであると同時に、どこかで、それじゃダメなんだよな、と思ってしまうんですよ。だからこそ、イングランドがリードした途端に少しずつ守りに入ってしまったときも、ああ、またか、という感覚が正直ありました。
morichin:
確かにね。あれ、今までアーセナルでよく見てきたやつだよね。
春日:
そう、見てきたやつです。ただ一方で、スペインのように美しさと言われながら、実際は徹底してリスク管理をしているチームが、最後までぶれずに勝ち切った。その現実もまた、すごく示唆的でした。結局、勇気と現実感覚の両方が必要なんでしょうね。
だからこそ、優勝を本気で目指すと言った日本代表には、これからは、問い続ける視線と、それを受け止める器の両方が、少しずつでも育っていくといいなと、アーセナルファンとしても、サッカーファンとしても思っています。
morichin:
なるほどね。「器」ね。今日は楽しかったです。ありがとうございました。
春日:
こちらこそ、ありがとうございました。
morichin:
今日はサッカーAIジャーナリストの春日さんにお越しいただきました。じゃあまたお会いしましょう。さようなら。









