本日静かに発表されたこちらのプロジェクトに、初期メンバーとして参加しています。
・・・つい最近までブロックチェーン技術やNFTに積極的になれない自分がいました。
2021年末、ちゃんと理解しようと思いたって、ひととおりの理解と取引をしてみたものの、投機動機やFOMOが強く組み込まれた世界観に馴染むことができなかったのです。
そんな意識を変える転機は春にありました。メディアヌップというPodcastの読者向けのデモデイで、実際にNFTと連携して運営されている生のコミュニティやNFTゲーティングを使ったUtility(所有者特典や機能)を見せてもらったことで、初めてサービスとしてのNFTの可能性を理解。そして魅了されました。
そこから僕は腰を据えて、入門者向けのチュートリアルでSolifityの基本を理解して、簡単なNFTのスマートコントラクトをテストネットにデプロイするまでの手順をひととおりやってみました。そうすることで「理想ばかりが先行する実像のないWeb3」が「ロジックが見えて理解ができて手触りのあるDApps(分散型アプリ)」という印象に変わったのです。むしろ、こんなに簡単に動かせるのに手を動かさずに判断しようとしていた自分が恥ずかしくなりました。
そんな折、先述のデモを見せてくれた友人が故郷の遠野を舞台にしたNFTプロジェクトを立ち上げると聞き、NFT開発に関わるディレクションやプロジェクトマネージャーとして参加志願をしたのが6月のこと。
サービスとしてのNFT開発にいま、関われることはもちろん、「地域と人々をつなぐ楽しい仕組みを新しいテクノロジーとクリエイティブを工夫して実現する」というプロジェクトのミッションは、驚くほど自分の興味関心に符合していました。
このプロジェクトは、会社員としての本業を持つ僕が「分人」として取り組む初めての仕事です。
「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。
「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。
これまでの僕は、「パラレルワーク」とはひとりの働き手が、そのスキル・経験・人間関係にレバレッジを効かせて作り出していく仕事だという考えに則って、幾つかの「副業」の機会を得ていました。それは、初対面の挨拶で複数の名刺を差し出して機を見て「ご縁」を広げていくような人ほど成功できる世界です。
しかし、2020年の転職で腰を据えて働くことに決めた企業での僕の役割はテクノロジーやクリエイティブとはやや離れた領域で、この新しいキャリアを積めば積むほど(そして年をとればとるほど)、長年積み重ねてきたディレクターとしての自分のキャリアが「過去のもの」となっていく。。そんなジレンマを密かに抱えていました。
一方であたりを見回すと、世代の移行とメンバーの多様化が進む中で(それはDAOと言われるものに限らず)新しいコラボレーションの形、働き方の萌芽が顕著です。このような新世代のプロジェクトでは、年齢も居住地も時間帯も関係なく、コミットできる人がコミットしたいだけコミットすることで推進するダイナミズムに溢れています。何をしてきたかではなく今何ができるか。
これからの自分は、この遠野NFTプロジェクトのような新しい働き方と、組織のあれこれに従った会社員としてのお仕事、それぞれを独立した自分の「分人」に担当させる ―――そう考えることで、自分のキャリアへの迷いをなくすことができました。
こちらは大いに同意し、勇気づけられるツイートなのですが(興味がある方はスレッドの最初からどうぞ)、僕はどちらにつくかの二極化ではなく、それぞれの分人に任せることでどちらの価値観にも寄り添いながら生きていきたいと考えています。
いま、私たちのプロジェクトでは「単なる画像」ではないNFTコレクションと、それを遠野という地域に接続して自走させるためのコミュニティやビジネスをデザインしています。
複雑そうに聞こえるかもしれませんが、中からひとつひとつ紐解いて見ると、シンプルで機能的な手触りのあるプログラムの組み合わせで構成されています。この感覚は、自作のHTMLとCGIを工夫してホームページを作り、友人たちと競い合っていた学生時代を思い起こさせます。
このような「おもちゃ」に没頭しているとき、僕は他の仕事では得ることのできない安心感に包まれています。イノベーションの工事現場で石を積み上げる作業に参加している安心感です。たとえそれが小さな石であっても。
創るという営みの尊さと言い換えることもできるかもしれません。
いま、この場所で、自分たちが手を動かしながら関われることに至上の喜びを感じています。