ご縁があって京都市内に開業した新しいホテルに設置されたデジタルサイネージマップにコンテンツ提供をしました。
こんな感じで、マップの中で紹介される「京都住民のおすすめスポット」にラーメン、隠れワークスポットの2つのテーマでネタ提供をさせていただいています。
このお誘いをいただいたときは、京都にはもっと物知りで面白い人がたくさんいるのに・・・何だったら紹介もできるのに・・・、と遠慮しそうになったのですが、結局お手伝いさせていただきました。
理由はひとつ、「地図」という媒体への思い入れがあったからです。
気がつけばもう10年も昔のこと、スマートフォンの爆発的普及からの「モバイルシフト」が急速に進んでいたとき、僕はlivedoorという会社でモバイル対応Webサービスやアプリ開発の最前線で働いていました。
(今と比べると、競争はシェア奪い合いではなく新大陸の取り合いであり、GAFAを始めとする海外のアプリやサービスは脅威ではなくピュアな憧れだった時代です。)
その頃の代表的な位置情報アプリは Foursquare や Gowalla、Facebook(当時はマップビューのUIがあった)で、僕たちはアプリアップデートのたびに我さきにと試しては「これこそモバイル時代のCGMが世界を良くする体験だ!」と目を輝かせ、傍らで行っている位置情報アプリ(決してコピーではなく独自の世界観を持ったプロダクト)の開発を間近にみていました。(たまにお手伝いもさせてもらっていました。)
しかし。Foursquare は Instagram や Snapchat のような定番アプリにはならず、自分たちのアプリも メルカリや LINE のような国民的アプリにはなれず。
今思えば、あれはモバイル黎明期にプロダクション環境で展開するマップアプリの壮大なPMF(Product Market Fit)過程であったことを、先日 Instagramに搭載された「地図から検索」UIの10年越しの既視感が教えてくれました。
結局のところ今、旅行先でスマホで行き先を探すとき、わたしたちは(着実な機能コンテンツ追加を経て便利になった)Google Mapを開いています。Google検索がWeb検索をほぼ独占したように、ChromeがWebブラウザを寡占したように、2010年代をかけてGoogle Map ひとつで用は足りるという、『便利だけどあまりおもしろくない』状況に落ち着いています。
この『便利だけどあまり面白くない』、というのは何もGoogle謹製ツールに限った話ではなく、スマートフォンのスクリーン越しに利用するほとんどのUIは確実に洗練され続けて利便性も上がり続けている一方で、見たこともないようなものが突然現れた驚き、ライフスタイルそのものを刺激的にしてくれるワクワク感、交わらなかった何かとつながった嬉しさ、そういった感覚をもたらす瞬間は少なくなってしまいました。(ゲーム的なエンタテイメントのwow体験は別にして)
さらには、毎週末にiPhoneからスクリーンタイムのサマリーが送られてきて「スクリーンご利用は計画的に」とAppleから宥められる始末。。
かのセカイカメラは2009年のスマホアプリ、黎明期のパーソナルスクリーンで体験できたからこそ、未曾有の驚きとワクワク感があったのだ、と今なら理解できます。
かくして、スクリーンとにらめっこするようなモバイルアプリ・モバイルWebに僕はときめかなくなってしまいました。
その反動なのか、単純に年をとったからなのか。
近年は『便利じゃないから面白い』そんな情報を楽しめるようになりました。
僕が2013年から参加させてもらっている、手書き地図推進委員会というグループでは、普段はデジタルなお仕事をしているおじ、お兄さんたちが集まって、ローカルな手書き地図を作るワークショップを全国津々浦々で行ってきました。また、地域の小学生が書いた地図、商店街で配られている手作りマップ、地元の歴史好きおじさんがライフワークで自主制作して配っている地図、などなど、日本全国にあるいろんな形の独断と偏見の”偏愛マップ”を調査しています。
手書き地図ワークショップのイントロダクションで必ず伝えていることが「あなたの日常は誰かの非日常」。その地域をよく知っている普通の人が知っている情報が、訪れた誰かを幸せにすることがあるんですよ、というメッセージ。
これは、情報が手書き地図のような、ちょっと不便なメディアとして断片的に街に散財しているからそれを見つける醍醐味があるのであって、住民のオススメ情報がひとつのデータベースに正規化されて入っていて人気順でソートできるようになった瞬間、その情報の熱量と輝きとありがたみは失われてしまうのです。
偶発的なメッセージに判断を委ねてみる心地よさと、そこから生まれる出会いに心躍る瞬間。
顔も名前も知らなかった知らない地元の人の作った偏愛マップは、スマートフォンのスクリーンとにらめっこしていては、決して出会えないハプニングです。
限られた時間の中での最大限の効率、限られた予算の中での最大限の費用対効果。そういったことから少し距離をおいたとき、モバイル時代以前の旅の楽しみ方を思い出しました。
スクリーンメディアに限らず、音楽でも、音声メディアでも、VRでも、テクノロジーの手の上で踊らされているわけではない、真に偶発的な出会いはいつのまにやら貴重なものになっています。
(センセーショナルな登場からものの1ヶ月でサーッと人が引いていったClubhouseの評価の変わりようはわかりやすかったですね、フォロー経済圏の数のヒエラルキーがそのまま継承されたあの場所では真の雑談はできなかったのです)
・・・話はどんどん膨らんでしまいましたが、僕のラーメン情報が収納されたホテルの壁のサイネージスクリーンも(デジタルではありますが)そういった「機会」のひとつとして、見知らぬどなたかの生活にポジティブな不確実性を持ち込んでくれることを期待しています。
必然と偶然のバランス。たまたまを楽しむ。
スマートフォン経由ではないヒト・モノ・コトとの出会いの割合を日常生活に増やすことが人生を生きていると感じる今日この頃なのでした。