いつも旅行の話をしている気がしますが、5月末は青森に行ってきました。
十和田湖・奥入瀬・館鼻岸壁朝市などの定番の観光も楽しかったのですが、「ウミネコがたくさんいる神社」以上の情報を持たずにふらっと訪れた蕪島と、お腹をすかせているときに見つけた地元のお母さん達が運営する産直で食べた山菜と筍(ネマガリタケ)と椎茸の天ぷらが、旅のハイライト。
最近は旅行前に綿密に行動計画を立てられないことが多いんですが、案外そのほうがよさそうだな、それよりも自分たちの「面白がり力」次第だなというのがわかってきました。
📌 今号のトピック
ようやくAIに相談することが見つかった🍛
インターネットのうしろめたさがやっと💸
手触りのあるものづくりの民主化 🔧
偶然の一枚が紡ぎ続ける物語 📷
偏愛の表現としてのポッドキャスト 🍜
1. ようやくAIに相談することが見つかった🍛
スパイスカレーのレシピ(主にスパイス類の調合)をchatGPTに聞いてみました。日本でも定番のチキンカレーならともかく、豆のベジタリアンカレーって何が「基準」かよくわからないしググって出てきた複数のレシピサイトを比較するより楽ちんかな、くらいの期待値で。
スパイスって素人がちょっと買い集めるくらいでは足りないんですね。今回のケースでいうと最初にレシピで提案されたフェンネルシードがわが家にありませんでした。また、カレーのヤサイはかぼちゃが好きなんだけど今の時期は高いしなー。あと、インド・ネパール料理のレストランでカレーについてくる付け合せたちが好きなんだけど名前がよくわからない。。
そんなアドホックに出てくる質問をchatGPTに相談して、わが家でのベストエフォートの晩ごはんに着地できました。
chatGPTやBingにレシピを教えてもらうという用例はちょいちょい見てたけど、最初の回答をもらった後の相談・アレンジ、こそに価値と楽しさがありました。
同様なユースケースで、旅行のプランや行程を相談するというのもありますが、旅行は飛行機やホテルのようなリアルタイムに変わるリソースを参照しなければ精度(有用性)は上がらないから、お料理相談の方が、わりと誰でも便利を実感できるLLMチャットボット体験かも。
さらに言うと、言語や文化関係なく世界中の料理レシピを学習しているはずなので、見たことも食べたこともない(つまりは脳内のメモリにない)料理を教えてもらうことも可能なはずで、ここから新しい遊びが芽生えそうな予感があります。
2. インターネットのうしろめたさがやっと💸
世に溢れる「AIが奪う仕事」考察の中でも、インターネットウォッチャーとして、元ニュースサービス開発ディレクターとして、ひとこと言いたくなってしまった記事がこちら。
グーグルの「生成AI検索」がニュースサイトを破壊する | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
グーグルは、透明性を保つために情報の出典元を明示し、そのリンクが本当にクリックされることを示唆しようとしている。しかし、筆者に言わせれば、これはウィキペディアの各項目の一番下にあるリンク集を人々がクリックすると言っているようなものだ。確かに、そのトピックに強い関心を持つ人なら、そのリンクをクリックするかもしれない。しかし、大多数のユーザーは、出典元のリンクをクリックしない。
つまり、このようにして、グーグル検索の回答は、新聞社や雑誌社、ニュースサイトのビジネスを脅かすことになる。
ここで自分が連想したのは大手ニュースメディアではなく、自社製品に誘導するためにせこせこ生産されるノウハウ系のコンテンツマーケティング記事。これらの制作はいま、ひとつの産業、というと大げさですが、少なくともマーケティング職種として成立しています。
もしこの営利活動が、AIを賢くするためのためのボランティアワークに変わったらインターネット全体に発信される情報量は(いい意味で)減るかもしれません。そうすればあのプライドをとうの昔に捨ててしまったアドネットワークディスプレイ広告が寄生する面も減ることになるわけで。量とマッチングが跋扈するインターネットからの栄誉ある後退は果たしてあるのでしょうか。
3. 手触りのあるものづくりの民主化 🔧
思想がシンクロするというのはこういうことかなという素敵な記事。
昨年辺りからTales and Tokens の仕事を通して考えている「手触りのあるインターネット」や、ポッドキャストで話していた「小さな盆地が距離的時間的隔たりはありながらも繋がっている世界」にもリンクするテクノロジーとの向き合い方だなあと。
そしてちょうど10年ほど前、クリス・アンダーソンが提唱した「メイカームーブメント」1に触発されながら3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタルファブリケーションツールの活用が議論されていた頃の、製造だけではなく社会やコミュニティのあり方も変わるかもしれないというポジティブな期待感と、「いやいやそんなおもちゃで何ができるの?」という冷めた言葉たちを思い出しました。
いま、社会実装のスピードはそのころの期待にまだまだ答えられていないことは事実として受け止めつつ、使い手の思想は社会の変化と呼応しながら変わっていることこそが産業の成熟なのかも。
4. 偶然の一枚が紡ぎ続ける物語 📷
今シーズンのチャンピオンズリーグ決勝。自分が20年来応援しているインテルは負けてしまったのですが、想像を上回る善戦&好試合。経済的には後手を踏んでいてもカルチョ(イタリア語でサッカー)が戦えることを証明できて大満足です。
そんなカルチョの美しさを象徴する写真として度々引用・紹介される写真があります。2005年のチャンピオンズリーグ準決勝・同じ街のライバルであるインテルとACミランの試合でファンの暴動により収集ができなくなったピッチを眺めるマテラッツィとルイ・コスタを捉えたカット。
今年のチャンピオンズリーグで再びミラノダービーが実現したことを受けて、この写真を撮影したカメラマンのインタビューが公開されていました。
レランディーニはこの写真が、これほど長い間、多くの人々に語りかけることになるとは、思いもよらなかった。
「他の写真とはちょっと違う感じがしたから使っただけでした。写真家として象徴的な写真があっても、取材に集中しすぎているのですぐには気づかないものなのでしょう。最も重要なのは写真を撮ることで、試合の重要な瞬間をとらえることです。その写真をクライアントが使用し、より多くの視聴者が気に入るかどうかは、数日後にわかるものです。写真は、見る人の(選手やチームやサッカーへの)理解や情熱に応じて、さまざまな方法で解釈できる物語をキャプチャーするものなのです。」
「18年経った今、多くの人がこの写真を気に入ってくれ続けていることが本当に誇らしく、うれしいです。Tシャツやポスター、絵画なども登場しているようです。マテラッツィも自分のツイッターに投稿している!時々、クレジットなしで使われることがあり、匿名の作者であるかのように感じられるのが少し残念ですが、その背後にいるのが私であることは分かっています。」
カメラマン目線からもサッカーファン目線からもグッと来るコメント。
生成AIが作った写真に、このようなナラティブや背後の人間模様をインプリメントすることはできません。努力と偶然と思いが折り重なって物語のある写真を後世に残せるというのは本当に羨ましい限りです。
5. 偏愛の表現としてのポッドキャスト 🍜
まったく何の役にも立たないポッドキャストをひっそり再開しています。
自分の中の第一次ポッドキャストブームだった2020年夏に、ライフワークである「麺」で思いついたアイデアを形にしたポッドキャスト。2エピソードだけ作って満足して更新は止まっていたのですが、LISTENというポッドキャストサービスを配信者として試してみたく、再開しました。
本当に自分がひとりで好きな麺を食べながら感想を言っているだけのポッドキャストでして、どんな風にやってるか見ていただけるだけで十分です。
ポッドキャストだってブログと同じくらいいろんな使われ方がされてもいいじゃないですか😌
このニュースレターは、東京から京都に帰る昼間の高速バスの中で作りました。
年始にWindows検証用も兼ねて買ったUMPC2が役立ちました。
高速バスに乗ったのは10年ぶり。デバイス、通信インフラ、ソフトウェア、そしてはたらくのマインドセットの変化によってこの移動時間は、一泊の宿泊費を浮かすために隣席のイビキと戦う我慢の時間から、気分を変えてまとまったアウトプットに向かい合う贅沢な時間にできそうな感触がありました。
リニア計画や北陸新幹線など、巨額の予算と人のリソースと各種破壊と地域の分断を代償に、トーキョーからの移動時間を「ほんの小一時間」縮めようとする試みがますます空虚なものに思えてなりません。
どんな人でも、ものづくりを基軸にした起業家になれるし、誰でも自分がつくりたいものを作れる時代になると言われていました
うどんレビュー、めちゃおもしろいです