子供の頃、パチンコをする大人が嫌いでした。
お正月に親戚が集まったときの大人たちの共通の話題がパチンコで。その時代、田舎に娯楽の種類がなかったことはもちろんあるんだけど、「なぜこの人たちはみんなと同じ工夫のしようがない行為に人生の時間を湯水のように注ぎ込んで喜んでいるのだろう」と内心軽蔑していたのです。
それと同じ理由で、インターネットを職業としてからもソシャゲ系に興味を持てなかったり。
じゃあ、昨今流行りの「自分だけの推し」を崇めるエンターテイメントなら楽しめるのかというと、それもまたあまり合わなくって。
つまりは、作られたものを鑑賞したりプレイする【だけ】に多くの時間を費やせないタチなのです(だから映画とか本をたくさんは鑑賞できない)。すごく好きな作品は、下手とか恥ずかしいとか関係なしに「自家製」を作ってみたくなります。
それが写真とか、曲作りとか、料理とか、ヤサイ作りになっているというわけ。黎明期のホムペづくりもそうでした。
「文人多癖」という言葉を最近知りました。
これは幕末に生まれた学者であり画家の富岡鉄斎が自らを称するときに好んで使った言葉だそうです。
展覧会では、その鉄斎の作品を年代順に紹介すると共に、鉄斎が集めた品々も多数展示している。「文人多癖」という言葉を鉄斎は好んだそうで、本人は「印章」の収集が好きだったようだ。それだけでなく、煎茶の道具や絵の具など、鉄斎にまつわる品々は多岐に渡るが、いずれもゴテゴテとした飾りがなく、すっきりとして見える。
【レビュー】「最後の文人画家」の全貌を観る――京都国立近代美術館で「没後100年 富岡鉄斎」展 5月26日まで – 美術展ナビ
「文人多癖」という言葉を好んだ鉄斎。「癖」とは、強い愛着、興味のこと。鉄斎は多癖でした。印章のコレクションは有名ですが、今回注目したのはこの煎茶のセット。
(中略)
南宋画、やまと絵から狩野派、琳派、大津絵に至るまで、さまざまな画法を研究した鉄斎は、「まだら」という言葉を好みました。
以下のような言葉を残しています。
「人間は一色ではなく、いろいろな面が混ざってまだらになっているのが良い」
「文人多癖」という言葉の、好奇心の赴くままにいろいろな創作や表現に手を出している自分に開き直っている姿勢がまず、良いじゃないですか。
生前は作品を公募展に出品したり、自ら個展を開いたりはせずに、友人知人のために描いたものが、いろいろな偶然で見つけられて世に評価されたとか。
ただいっちょ噛みしたりプロデュースしたりするわけではなく、自分で道具を集めて手を動かしてみるクラフト感、ブランド化とか派閥化とかすることもせずに、ただやりたいから作ってみている、自由で縛られないスタンスがかっこいい。
最近趣味がとっ散らかっている自分を勇気づけてくれる(?)言葉でした。
話は変わって、サウンドエンジニアのスティーブ・アルビニの訃報がロックファンとロックミュージシャンの間で話題になっています。
思春期に聞いた音楽がその人の一生の音楽の好みを決める、という研究がありましたが、自分にとっては、中学生のときに聞いたニルヴァーナのアルバム「IN UTERO」が「かっこいいロックサウンド」の基準になっています。
自分にとってのアルビニサウンドは(言語化しきれないことはわかりつつも)「圧倒的な音像とダイナミズムによる手触り感」に尽きます。
追悼 スティーヴ・アルビニオルタナティブを体現した男 | ギター・マガジンWEB|Guitar magazine
スティーブ・アルビニはニルヴァーナに宛てたFAXで言っています。効率化してまでたくさん制作して儲けたいたいわけではない、外野には関わらせずバンドの内面から出てくる音を作る仕事しかしない、と。
彼はこのシンプル(だけど商業音楽においては難しい)条件に合致するのなら、ある意味仕事相手を選ばずに、時給制で(!)サウンドエンジニアリングを手掛けています。(ということ、没後ちゃんと調べて知りました)
願わくば、鑑賞する作品もクラフト比率を高めて幸せになりたいのです。
ロックミュージシャンの来日ライブに2万円近く払って参加することは今更辞められない一方で、身近な友人や知人が余暇で手塩をかけて作った音楽をネットで聞いたり、近所のライブハウスで楽しみたい。
もっと気軽にクラフト的なものづくりができて、それをもっと恥じらい少なくシェアし合えるような空気になればいいのに。クラフト的な何かを交換1しながら年を取る人生はさぞ豊かで満ち足りていることだろうと思うのです。
先日、元同僚が高校時代の恩師の影響を受けて40歳を過ぎてから短歌づくりに没頭している、という静かに熱いブログを読みました。これもクラフトな営みだなあ。
あとがき
昨年末からAIにサポートを受けて作った楽曲を元に演奏・アレンジするクラフトDTMに没頭しています。100%趣味なのだからどんな形にも描ける中で、常に理想の音像として脳内で鳴っているのはスティーブ・アルビニのサウンドです。
(彼が軽蔑していた)デジタルツールをこねくり回しながら、彼が手掛けたような圧倒的な手触り感の再現や演出の真似事をやっています。2
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すでに聞いているポッドキャストの半分以上がクラフトポッドキャストでした。同僚や友人がみんなブログを書いていた時代もあったんだから、クラフトポッドキャストはもっと広がってほしいものです
この曲は、ジャック・ホワイトのある曲をお手本にアレンジしました