つい先日、とあるクラウドファウンディングサイトからとあるプロジェクトを支援したときの体験を回想します。
あなたのプロフィールを設定してください
支援したいだけなのに面倒だなあ。
あ、2014年にも一回支援に使ってた、このサイト。クラファンサービスも息が長いなあ。
支援額に加えてシステム利用料が220円かかります
え〜、支援する人からも手数料を取るの〜?
まあ、eplusの発券手数料も納得はしてないけど「便利賃」として払ってるからいいけど。
応援コメントを入力してください。※コメントはプロジェクトページ上に公開されます
ん?プロジェクトの中の人に伝えるコメントは書けるけど、それが自分のプロフィールとセットで公開されるとなると、それは嫌だなあ・・
コメント欄はブランク(空)でも進めるかも。
あ、いけた。
morichin
頑張ってください!
??何も入力してないんだけど。
そしてなぜか自分以外にも「頑張ってください!」のコメントをしてる人が多数いる・・・
何も入力しない場合、「頑張ってください!」と表記されます。
まさかの、強制コメント。
ここまでして支援者の行列を演出したいのか。
(この辺から不満のギアが上がる)
・・・まずもって、自分はこのプロジェクトに支援したことを誰かにアピールしたいと思っていない。むしろ、中の人以外には支援したことを知られたくないくらいだ。ただただ、プロジェクトに賛同して支援したいと思っただけなのに。
わかった。だったらプロフィールの名前や画像を匿名性の高いものに変えよう、と考えて設定画面を見たところ、
プロジェクト主催者にだけ見える「本名」欄が存在しない・・・!
例えば イベント告知募集サービスのPeatixなら、公開されるプロフィールのニックネームとは別に、イベント参加者としての「名前(これは運営者にしか見えない)」を都度、入力することができる。
最初から晒される前提の仕組みだとわかっていたら、このプロジェクトに支援することを断念していた可能性もある。そう考えると、先程のシステム利用料220円にも納得行かなくなってきた。
とはいえ、耐えかねて支援を取り消してアカウントを削除するほどの怒りでもない。
商品の購入ならともかく、善意でプロジェクトの支援をしたい利用者に対して、選択肢なしに、強制的にソーシャルで自分が晒されるという負担を強要していること、その結果、まったく望んでもいない行列に自分が並ばされてその演出の一部になっていること。
それらがサービスに組み込まれていることに気づくこと能わず、利用してしまった自分に腹を立てていた。
クラウドファウンディングサービスは2010年代を象徴するソーシャル(グラフ)の力を活用して大きくなったWebサービスのひとつでしょう。
だけどそれはその頃の社会というか”界隈”の空気がそうさせていた話1。
あれから10年、ソーシャルネットワークの負の側面を十分すぎるほど見聞きしてきたし、そもそもいつの時代だって、社交を好まない苦手な人間はたくさんいるわけで。行き過ぎたソーシャルメディアを反省するポストソーシャル時代に、このような「ソーシャルつながりサイコー」な仕組みが(今もうまく回っているサービスほど)残ってしまっていることに違和感を感じたのです。
そういう意味ではNFT(ブロックチェーン)を使った支援の仕組みは実にすがすがしいものです。
最近参加した、和歌山のくだもの生産者を支援するプロジェクトの利用フローはこんな感じ。
運営者は、プロジェクトが必要とする支援額に応じた個数と金額のNFTを一般的なNFTマーケットプレイスで販売する。
NFTを購入した支援者は、ただ一点、ブロックチェーン上の記録を通して、支援が自分のウォレットアドレスと紐づけられていることを公明正大に証明できる。
支援者は、自分の意志でプロジェクトが用意したフォームから「おすそわけ」の送付先を運営に伝えることができる。
運営者は、支援者と生産者をつなぐ匿名のコミュニティ(LINEオープンチャット)のURLを招待する。
支援者は自分の意志でオープンチャットに参加して、このチャット専用のプロフィールを設定して、生産者と交流することができる。(参加しなくてもいい)
支援者全員に感謝の「おすそわけ」の果物が届く。
届け先は2箇所設定できて、家族や知人の住所や、子ども食堂を選択することもできる。
くだものおすそわけパスポート|紀の川藤井の里ネイバーズ - すごい地域NFT「KIN-TOWN」
クラウドファウンディングを例にとっても、このようなポストソーシャル時代の仕組みはすでに試されつつあります。これを「新しくて心地よい」と思うか「面倒でつまらない」と思うかは分かれそうですが2。
この文章では、自分が利用した特定のサービスを非難したいわけではありません。開始して10年そこそこのサービスで生じる、利用者の感覚のずれを書き留めておきたくなったのです。
つながりが広がること、つながりを演出されること、つながりで耳障りのいい言葉でお互いを高め合うこと。利用者はすべての場合においてそれを望んでいるわけではありません。
そういったものに晒されない選択肢、巻き込まれない選択肢を、少なくともこれから作られるサービスでは、しっかり配慮してほしいと思ったのでした。
(↓結局こんな表示に落ち着きました😌)
かく言う自分もソーシャルネットワークがキラキラしていた2010年、あらゆるアクティビティがソーシャルグラフAPIを使って晒されるサービスを企画していました。
先に説明しておくと、こういったことはブロックチェーンを使わなくてもサービス提供者の「志」ひとつで気持ちよく参加できるサービスにできます。ブロックチェーンの利点としては、サービス提供者への信頼の大小を問わないということ、運営者側が知恵と工夫さえあれば手軽に安価に始められることがあります。