「結局、私たちは、オルタナティブに向かうんでしょうね」
週末、京都に来ていた少し年上の人生の先輩と話す機会があった1。
自分はいまちょうど、仕事への向き合い方を変えたいと思っている時期で、都会の仕事よりも小さくても地域に直接関わる仕事を増やしたいとか、デジタルマーケティングのブルシットジョブとゼロサムゲームはもうこりごりとか、そんな近況をわーっと話してしまったのだけど・・・
そのときにその先輩がおもむろに仰ったのが冒頭のひとこと。それは、Substack のプロフィールにも入れている私の人生(仕事)観、
「人生とは、小さなオルタナティブを守るための闘争である」2
と同じでした。
ここから先は「仕事」と「しごと」の小難しい自分語りではなくて、お盆の山形旅行から考えたエピソードを2つ書きます。1つは温泉、もう1つは、またかと思われるかもしれませんが、新幹線のお話です。
変わらないことを選んだ肘折温泉
山形では3泊4日のうち1泊を温泉宿にしました。決めたのは出発の2日前。まず候補に挙がったのは、大正レトロな街並みで有名な銀山温泉でしたが、インバウンドの観光客で混み合っているらしい。今回はそういう気分じゃないな、と選び直したのが、月山に近い山中にある肘折温泉でした。
平安時代から続く湯治場で、名物は地元のおばちゃんたちが夏場は毎朝5時半から出す朝市。大きなホテルはなく、小さな和室の宿が並ぶだけ。おしゃれもキャッチーもない。いいじゃないですか。
訪れるとたしかに、そういう場所でした。共同浴場のぬるめのお湯も、旅館の赤褐色のお湯もすばらしいけど、温泉街のメイン通りは片道10分もなく、小さな昭和が残された感じ。
ただ、散策しているうちに気づいたことがありました。
20軒ほどある宿が、どこもちゃんと営業していて、ちゃんとお客さんがいる。1軒だけが突出して新しいとかセンスがいいとかがなく、昭和から続いてきた佇まいのまま、粒感が揃っている。
「昔は栄えていたけど、今はこことここしか営業してません」というような朽ちていく途中の温泉地とは違って、すごく盛り上がってはいないけど、温泉を中心に町がしっかり回っている3。
朝市も趣深いものでした。名物と聞いて行ってみたら、この朝のおばちゃんは全部で5人。でもこれは「観光のためにお願いだから続けてね」と頼まれているわけではなく、もともと長期滞在の湯治客が自炊の食材を手に入れる市で、いまも旅館や住民の調達手段。町を回すための仕組みとして、そのサイズで続いているだけ、というか、結果なんですよね。
温泉の評価は高く、山深い秘境というロケーションだから、どこかの時代で都会の資本が入って、有名な建築家やデザイナーが関わって、海外からのお客さんを呼び込んで――という展開があってもおかしくない。
実際、銀山温泉には隈研吾さんの設計事務所が手掛けた建物が2つあり、古い温泉街を現代的に再解釈する象徴になっている。そちらのほうがよく聞く話。(そして活性化しすぎた小さな町がパンクして、オーバーツーリズムになるところまでがあるあるだ。)
肘折温泉には、そういう気配はなさそうだ。夜のアートプロジェクトにしても、滞在したアーティストが描いた提灯を各宿が軒先に灯すだけで、ライトアップやプロジェクションマッピングのような演出感はない。天気の悪い日は面倒だからと、玄関の内側に置いたままの提灯をドア越しに見る宿もある。
それでも20年続いているそうだから、とっくに特別なイベントではなく、のれんを下ろすのと同じ、淡々としたルーチンになっている。だったらこれは強い、ずっと続くなと思ったのでした。
作られたレトロ、保護されたレトロじゃなくて、続けてきた結果残っている往時のままの昭和。やっている人たちからすればただの営みだけど、初めて来た自分の目には、静かで、新鮮で、オルタナティブな魅力に映りました。
肝入りのプロジェクトで復興した場所は、肝入りがなくなるとガス欠になって途端に回らなくなるから脆弱だ。肘折の強さは、誰かの熱量ではなく仕組みが回していること4。地味だけど強い。
ちっちゃい新幹線という選択
この旅では、初めて山形新幹線に乗りました。
ご存じない方のために説明すると、山形新幹線は仙台方面に向かう新幹線と連結して東京駅から出発し、福島で切り離されて西へ分かれます。そしてこの新幹線、車体が小さい。線路もクネクネしていて、スピードは遅く、駅も多くてめっちゃ止まる。しかも同じ線路を、地元の中学生や高校生が通学する普通電車も走っている。普段、東海道新幹線か山陽新幹線しか乗らない関西の自分には、その違和感が新鮮で面白かったのです。
車体が小さい理由は、専用の線路を新しく作っていないから。もともとあった在来線の線路幅を新幹線と同じ標準軌に変えて、そのまま東京から来る新幹線を通した。ただ、そうするとカーブは多いし、トンネルもフル規格では通れないサイズなので、車体の方を小さくしたというわけです。
ではなぜそうしたのか。その方が「早い」からです。
スピードの「速い」ではなくて、開通時期の「早い」。ゼロから専用線を通すフル規格を待っていたら、完成は何十年先かわからない。今ある線路を使えば、早く東京と一本につながる。
じゃあ肝心の「速さ」はというと、改軌で130km/hまで高速化し、福島での乗り換えもなくなって、東京―山形は開業前より42分短縮。260km/hの専用線には及ばないけど、ちゃんと速くなっている。
立派さよりも、早さ。そんな選択を1980年代の山形はしたのだと、自分は受け取ったわけです。
だとすると、自分が最近、なにかにつけて批評している北陸新幹線と比べて考えざるを得ない。
あちらはフル規格の立派な新幹線を、専用線で東京から新大阪までつなぐことに今もこだわり続けて、敦賀から先はいつできるか誰もわからない状況に陥っています。1970年代の約束を、時代に合わせて融通を利かせる余地は、時間は、あったと思うんですけど。
いまの山形新幹線のいい感じの現状を見てしまうと、あの終わりのない議論がなおさら滑稽に思えてくる。この違いはどこで生まれてしまったのか5。
調べてみると、山形も「うちは田舎だから小さくていいよ」と言ったわけではないんですね。(ここからは想像も入りますが)フル規格の計画は諦めていない、でも時間がかかるのかかるなら「一旦」これでいい、と。その「一旦」がそのまま数十年続いて、人口が減り、空港も整備されて新幹線が全てでもなくなった今、結果的にちょうどいいサイズに収まっている。
ちなみに小さくても新幹線。山形駅に着いたら「麺王国へようこそ」と全力で歓迎してくれます。自分が求めているのは美味しい麺と米と団子とフルーツなので、最高の山形新幹線体験でした。
計画は陳腐でもぼわっとしててもよい
「足るを知る」という言葉があります。
肘折温泉も山形新幹線も、足るを知る選択をしたことで、結果的に今、ちょうど良くなっている。売上が2倍とか観光客が2桁増とかもすごいけど、多分その裏では、めっちゃ流行った1軒の陰で、家族経営の小さな宿たちが店を閉じていたりするわけでしょう。
それよりも、足りていることを知って、続けてきたものがそのまま残ってワークしているのって、すごくないですか。応援したくなるじゃないですか。
そこで思い出したのが少し前に聞いたポッドキャスト・メディアヌップの「#276 まちの総合計画を立てるには」の回。遠野市が50年前に立てた総合計画について、こんなことが語られています。
「僕今にして思うのは、尖ってるコンセプトよりも、意外と陳腐なものって受け皿が広いっていうか、受けが広いっていうか」
「受けが広い上に、後でどんな風にでも尖らせられる、必要とあればね」
「4,50年という単位だとぼわっとしてても許されるんじゃないか。ただぼわっとしてるっていうのは適当でいいとかどうでもいいっていうことじゃなくて、ぼわっとしてる方向の中では方向があってなきゃいけない」
「昔の景観とか昔話みたいなソフトコンテンツ、歴史的なソフトコンテンツをちゃんと保存していくっていうことを売りにしていこう」
肘折温泉の朝市も湯治宿も軒先の提灯も、尖った企画ではないけど、地域の資源を無理なく活かせる受け皿の広い営みの延長だったから、いまも回り続けている。山形新幹線の「一旦これでいい」も、フル規格ではないというディテールには目をつぶって、東京と早く・速くつながるという方向だけはしっかりと合わせた。
あともうひとつ。『「個性的」な再開発がまちを「没個性」にしてしまうのはなぜか...まちづくり界の「バイブル」がもたらす功罪』というコラムも紹介します。
たとえばジェイコブズが擁護した「多様性」を掲げる街が、「昭和レトロ」と呼ばれる以前からそこにあった公園を、清潔で秩序ある芝生の広場へと改装し、ホテルやカフェ、ドッグランを呼び込んで、何も買わずに長居することをどこか居心地の悪いものへと変えていき、結果としてそこに留まれる人が選別されてしまうこと。
マルシェやワークショップ、もしくは地域のアートプロジェクトが本質的に悪いものだと糾弾したいわけではない。(中略)問題は、そうした施策が「良いまち」を思い描くための、ほとんど唯一の想像力になってしまうところにある。
このコラムを引用した 手書き地図推進委員会のツイートも、そこに在り続ける「当たり前」の魅力について触れています。
何をオルタナティブと呼ぶかは人それぞれです。東京で長く仕事をしてきた先輩にとっては京都で働くことがオルタナティブ6だし、京都に住む自分がイメージするのは、観光客で溢れかえる京都市よりも、もっと小さな経済圏とそれらの緩やかなつながりだったりする。
いっときのブランディングやマーケティングではなく、仕組みとなった文化は強い ―― 。肘折温泉のような小さなオルタナティブな街――もしかしたら音楽かもしれないし、食べ物かもしれない――は、まだたくさんある。
どうせ仕事をするのなら、それをどう仕組みとして残していくかにつながる仕事をしたいし、すでに情熱を燃やしてやっている人がいるのなら、その人たちを手伝いたい。
いまは、そんなことを考えています。
ITの大手の最前線から地域の仕事に少しずつシフトしていく様子をSNSで拝見して親近感を覚えていました。自分にはそのような「勝手に先輩と存じ上げている方」が何人かいます。
インスパイアされた別の先輩のエッセイ: 川田さんとの全く終わりのない対話を敢えて凝縮する - 思考の選択肢の拡張をする、新しい道具としての生成AIとは|SONJIN
一方で、伝統産業のこけし作りは縮小を続けている。どの宿にもこけしが飾ってあるが、かつて複数いた職人も、現在肘折で作っているのはひとりだけになったそうだ。
大蔵村や山形県によるインフラ整備も大きいらしい。たとえば、肘折温泉へは全国屈指の豪雪地帯の山道を登ってから谷へ降りていくのだが、その途中にはS字カーブを描く、見応えも運転のし応えもある「肘折希望大橋」が2013年に開通している。かっこいい現代的な橋を降りた先に、昭和の湯治場がそのまま続いているという構図が面白かった。
補足すると、北陸新幹線でもFGT(フリーゲージトレイン。走行途中で車輪の幅を変えることで、新幹線の標準軌と在来線の狭軌の両方を走れる車両)を導入し、敦賀で乗り換えることなく、既存の湖西線などを経由して京都・大阪方面へ直通させる案は検討されていた。ただ、山形・秋田新幹線が主として首都圏と地方都市を直結する役割なのに対して、北陸新幹線には東京―大阪間の第二国土軸という役割も期待されているので、そう簡単な話ではない。
その先輩はロックミュージックに大変造詣が深い方なので、「オルタナティブ」という言葉は唐突ではなかった。一方僕たちも歳をとって、オルタナで日本人が連想する「オルタナティブロック」は40・50代以上の演歌になりつつあるという現実もあるが、これはまた別のお話。










オルタナティブってもう演歌ですね...😂
そしていつの時代も演歌好きの若者も出てくるのが面白いところですね!時代は巡る...