先日、古い同僚が20年間勤めた会社を退職するということを、退職エントリーならぬ退職ポッドキャストで発表していました。
そこにひとこと「お疲れさまでした」の声をかけたいものの、華やかな業界の中心地から外れて久しい自分は「表の」社交場であるFacebookでのコメントツリーの行列に加わる気になれず。
そんなとき、そのポッドキャストが Substack を使っていた事を思い出し、該当postの誰も何も書き込んでいないコメント欄からそっとメッセージを残し満足。いつまでたっても静かなメディア、Substackが愛おしく思えたのでした。
さて、インターネットをSF小説「三体」の黒暗森林に喩えた話題を、このニュースレターで取り上げてから、はや3年が経っています。
「暗い森」理論とは、三体IIのネタバレを避けつつざっくり言うと「皆がそこにいるはずなのに危なっかしいのを避けて息を潜めるようになること」。SF物語内での定理を今日のインターネットに喩えたことは言い得て妙で、SNS、ソーシャルグラフでがんじがらめになったインターネットの薄気味悪い一面をよく表しています。
この3年間で、SNSの表通りで自己主張をすることのリスクはいよいよメリットを上回り、汚染されたディスプレイ広告が跋扈するオープンなインターネット空間に情報発信をすることは生成AIの餌付けをするようなもので益々コスパが悪く感じられるようになりました。
本当に価値のある情報はDiscord やオンラインサロンの中で交換されるようになり、生身の人間とのコミュニケーションは専ら、捕食者に睨まれるに足らない小さな島や盆地の中で密やかに楽しむようになりつつあります。
では、表通りではない、小さなもしくはニッチなつながり内のコミュニティなら安全で心地よいのかというとそうでもなく・・・
文通のようなシンプルで心地よい交流で始まったコミュニケーションが、利用者の「もっとつながりたい欲求」を追い風にコミュニケーションの頻度や粘度が高くなったり、ネット外の交流にまで広がったりした先に、煩わしさが楽しさを上回ってしまう沼が見えました。ささやかな凪を楽しむスタンスでいた自分がこれ以上足を踏み込むべきではない沼が。
外から気配の見えない森林1の中の喧しさや湿度は移ろいゆくもの。
10年前ならいざ知らず、わたしたちはSNSでつながっているからといって人を救うことはできなかったことや、むしろそのつながりに人生を依存することの方が危ういことも学びました。
散発的で(ややハイコンテクストで)非同期なコミュニケーションを好む自分には、いまだにコミュニケーションの密度が上がらない幽玄な佇まいの Substackくらいがちょうどよいということを改めて確認したのでした。
とはいえ無風ではさみしいし、ライフワークである発信を減らすつもりはなく。
まずは趣味のインターネットから。
ニュースレターやポッドキャストと連動した曲作りのアウトプット2をこちらに放流しています。
Beyond The Dark Forest by 晴耕雨読 - 奏
電話をかけて話せば、脊髄反射的にツイートすれば、Discord で具申すれば、すぐにでも他者に押し付けられる感情を、あえて時間をかけて楽曲にして3ネットに放つというのは究極の非同期コミュニケーションかもしれません。
生活やしごとで充足しているときには、これくらいがちょうどよさそう。
連歌を嗜む平安貴族のような心持ちでこれからのインターネットを楽しみたいものです。
コミュニケーションの仕組み・プラットフォームの成長を見届けたい好奇心は強いわりに、コミュニケーションそのものがあまり好きではないので、文化人類学者には向いてなさそう
歌詞はchatGPTの力を借りて、コード進行とメロディは suno.ai にお願いしてできた原曲を、時間をかけて自分で演奏・アレンジしています
DTMにずっと打ち込んでいる元バンド仲間の友人の話を聞くと、DTMこそ深淵な沼がありそう😌
幽玄な佇まいの Substack w