20世紀に通っていた高校は1学年に12クラスある田舎の進学校だった。それが今年になって突如「○○高校第△△回卒業生」というLINEグループが作られ、自分も数少ない友人経由でそこに加わった。
どうやら歴代OBが集まる公式同窓会の幹事を我が代がやることがきっかけで作られた様子。続々と名前に覚えがある同級生が招待されていき、お盆や年始に合わせてイベントのお誘いや旧交を温める会話がされるようになった。
・・・のだけど、高校時代クラスや部活や仲良しグループに所属していた感覚がなく、少ない友人と放課後にゲーセンやカラオケにたむろしていた自分には「再開したいこと」が思い浮かばず、ただ静観している。(クラスごとのサブLINEグループを作って全員漏らさず招待することに意欲を見せたり、同窓会の出欠応募を最新の参加者一覧を添えて何度もリマインドしたりするのは、今の時代些か過干渉に過ぎない?と首を傾げながら。)
それでも、この喧しいLINEグループから退出せずに律儀に既読をつけているのは、自分は確かにこの時代に学校にいた生徒であり、卒業名簿に名前が載っているから。ふと、友人の少なかった高2の修学旅行の記念写真で、形だけのピースサインをしている自分を思い出してしまった。そしていまも同級生たちが楽しげに会話しているのを横で見ている。
200人ほどの全社員が集合する年度末のイベントがあった。基本リモートワークの会社なので大部分の社員と顔を合わせるのは一年でこの日しかない。そんな会社だから「マネージメント的に」このイベントは大切だ。それくらいは解っている平社員の自分は、氷抜きの烏龍茶を片手に笑顔で立食会場をウロウロして場に溶け込んでいる体裁をつくろっていた。
うちの会社は小さなITベンチャーから身を起こしてもう直ぐ四半世紀。創業時代からのメンバーも割と残っていて(出戻りした)自分も含めて立派なおじさんおばさんだ。
イベント後の(就業時間に含まれる)慰労会では、そんな我々と、ここ数年で入社した若いメンバーが、公平なグループ分けに従って同じテーブルに付いて乾杯をする。ちゃんと世の中の倫理観に適応しているこの会社では、年次や年齢で自動的に役職がついたり、年長者がいたずらに偉く振る舞う文化はない。能力と意欲によって公正に仕事が与えられている。
世代が偏らないチームでのコミュニケーションはリモート会議の1〜2分のアイスブレイクやslack のリアクション程度なら問題ないが、リアルな乾杯のあとのオープンエンドな会話を楽しめるほど、誰もがコミュニケーションスキルが高いわけではない。話の糸口もわからないおじさんでごめんね。でも、一年に一回くらいならそういう思いをするのも悪くない。
リアルに会って杯を交わす、雑談をする。こういったやり方で集団の結束を高めたり確認したりすることはこれからも無くなったりはしない。でも、これからの会社・チームをつなぎとめるものは、うわべの調子の良さではないもっと根源的な共感になっていくのだろう。
京都のとあるシェアオフィスの5周年イベントに部外者にも関わらず1手違いで参加した。幸い主催の方が歓迎してくれたおかげで居心地の悪さもなく、コミュニティのみなさんのプレゼンをゆっくり観覧した。
このシェアオフィスでの出会いをきっかけにご結婚された方々が、それぞれの顛末を楽しくお話されていたセッションがあった。この手の話題って最近はデリケートに取り扱う風潮だけど、ここではとてもポジティブに、このコミュニティを象徴するトピックとしてシェアされていたのが印象的だった。
結婚はひとつの形に過ぎないけど、どうやらこのシェアオフィスには、ウェットで深く長いつながりを志向している人たちが惹かれ合っているように見えた。いかにも京都らしくもある。
「働く人が集まる場所」といってもいろんなかたちがある。ここのすぐ近くに、自分も立ち上げに関わったコワーキングスペースがあって来年でスタートから10年を迎える。こちらの特徴を挙げるならオープンでドライ。たまに興味があるイベントに参加するだけの人から、ここに住み込んで創作に勤しむ人まで、いろんな関わり方がある。毎日顔を合わせていた人が次のプロジェクトを見つけて突然いなくなったりもする。「来るものを拒まず去るものを追わず」というと聞こえは良いが、流動性が高すぎるとコミュニティはあまり育たないし、ビジネス的にも機会損失をしているような気もする。
オープンでドライなつながりの良いところは、細かいことを気にしなくなることだ。いっときの意見の食い違いや、ちょっとした不義理や、ある時ストレスだった違和感なんかも、離合を繰り返すうちにいつのまにか薄れていったり都合の良い方の記憶で保存されたりする。そして、覚えきれない程たくさんの人が行き交うコミュニティはいつだってひとりひとりの些細なことなんて気に留めていないものだ。
時間が経てば喜怒哀楽の感情は希薄になる、だけど、あの場で認めあい、共有できたイメージがあれば、またつながりは再開できる。そんな心持ちでいる方が人生を楽しめるだろう。
昨年末は、表現を発信できるあふれる喜びを綴ったニュースレターを書きましたが、今年は特筆することも思い当たらず。まあ、そういう年もあるよねということで、普段はポッドキャストで話しているような話題をつなげて、年末の気分としてテキストレターにまとめてみました。
世間から隔絶されているようで、いくつかの小径で少しずつつながっている、そんな盆地の片隅からお送りするニュースレター、来年もよろしくお願いします。
BAR KRYPTOのクローズイベントだと思って参加したら、そっちはサブセッションだっった